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ギリシャ悲劇のやうには

ギリシャ悲劇のやうには

 

ギリシャ悲劇の登場人物のやうに

個人の意思ではどうあっても抗へぬ

「運命」、若しくは「宿命」に対して、

将に筋書き通りに生きてしまふ哀しさは、

それ故に悲劇と呼ばれるのであるが、

そんなギリシャ悲劇が持て囃された時代は

ギリシャの爛熟期から没落してゆく時代であった。

 

 

ギリシャ悲劇に登場する人物は、

ごく普通の運命は誰も課されてをらず、

それは偏に堕ち得るべく悲劇性が先験的に課された人間でなければ、

ギリシャの人人は敢えて外の時間に費やすよりも

悲劇を鑑賞する筈はなかった。

 

それは時空すらも登場人物の運命には膠着し、

当然世界もギリシャ悲劇に登場する人たちに対しては連れなくて、

何処か世界はそれらの人人を先験的に見捨ててゐるのだ。

だから、其処に人間を魅了して已まぬ人間による抗へぬ力が働き、

それを観衆は自分の置かれた運命に重ね合はせて溜飲を下ろしたのであらう。

 

心は量子力学のやうに波性であるために、

様様な感情が同時に存在可能なのだらうが、

だからか、ギリシャ悲劇は映画を観るやうでゐて、

それとは違ふ脳髄の疲れが生じるだ。

 

ギリシャ悲劇は人の心を押し潰す。

ぺちゃんこに押し潰し、

金属をプレスするやうに

人人の心には奇っ怪な印象を残すのだ。

 

――何故、さうなるのか?

 

これはギリシャ悲劇の幕開けから続く疑念であり、

一つのギリシャ悲劇が終はって後もその疑念がずっと心に残り、

糸を引くのだ。

その粘性は納豆の如くであり、

既にそれで人はギリシャ悲劇に巻き込まれてしまってゐるのだ。

とはいへ、ギリシャ悲劇に対しての疑念は消えることなく、

それは或る違和として心に巣くって

ギリシャ悲劇の違和に悩まされる事になる。

 

それはまるで空が降ってくるといふ杞憂にも似て、

あり得ないSituationに絶望してゐるのか。

 

唯、空は降る事はないが、

大地が空へ飛翔する事はあり得るのだ。

つまり、ギリシャ悲劇には蓋然性が封じられ、

登場する人人に「自由」なる観念は既に封印されてゐる。

それが、粘性の正体で、

ギリシャ悲劇の登場人物は全て人に非ず、神人といふ類ひの存在で、

神が滅びる美しさに人人は恍惚となるのだ。

 

ギリシャ悲劇に登場するのは、徹頭徹尾、神なのだ。

だからキリストがRosario等で今も尚、磔刑され続けてゐる理由に

それはぴたりと重なり、

それが納豆のやうな粘性で人間存在にくっつくのだ。

 

「宗教は阿片」と言ったものがゐたが、

将にそれは阿片にも似たもので、

それに嵌まると最早出られぬ粘っこい粘性で人の心を誑かす。

 

ギリシャの没落はギリシャ悲劇と言ふ

神の死の物語とともに訪れたのだ。

 

運命と言ふ言の葉が宿る秋月夜

 

言霊に託す運命其はあるか吾其にのみに拘泥するに

 

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