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思弁的実在論考

思弁的実在論考

 

先づ、思弁的実在論は此の世は人間中心主義ではないといふ、日本人からしたならばとても当たり前の事をあれやこれやと理屈を捏ねくり回し、非人間中心主義である事を最終的には突き詰めたいのであるが、その捏ねくり回し方が何とも可笑しく、基督教の下、つまり、一神教が頑強に根を張る世界においては万物に「神」が宿るといふ「遅れた」Animism(アニミズム)、つまり、日本の八百万神を信仰する神道は、前近代的なるものとしA(ア・) priori(プリオリ)に退けられ、それ故に思弁的実在論は、何とも苦しい論理で飛躍に飛躍を重ねてある結論へと到達しようとするのであるが、然し、その曲芸紛ひの荒技で、思弁的に逃げ込むその遁走の仕方は、思弁的実在論が真っ先に禁忌する相対主義を退けられたかと言ふと其処に思弁的実在論の限界が露はになる。つまり、《もの》に相対する時、否、世界に相対する時、西洋的考へでは人間ばかりが《もの》と《もの》との指向性・関係性を求道する性癖を、痩せ我慢した上で、《もの》からその関係性を剥奪し、カント曰く処の《物自体》の何たるかを暴く事に血道を上げるのであるが、それは悉く失敗してゐるように見える。何せ、思弁的実在論の論理は概して強引で、それに対して肯ふ事は厳しいと言はざるを得ない。

 

例へば世界内存在の《もの》共がざわめく事があるが、西洋に脚を置く思弁的実在論者達はそれを何としても主観と無関係なる事であると嘯くが、その素振りが何とも不自然でぎこちないのだ。万物に「神」が宿ると看做す日本人からすれば思弁的実在論は、西洋思想の鬼子なのだらうが、しかし、その鬼子に鳩が豆鉄砲を喰らったやうに驚く西洋の人人のあたふたとしてゐるその様が何とも滑稽なのだ。世界内に存在する《もの》達に対して其処に何ら関係性がないとする相対主義に抗して、相対的に《もの》は《もの》に対して無関係に存在するといふ思弁的実在論者達は、しかし、数学と物理には縋るといふ愚行を行ふしかないのだ。尤も、数学と物理は「神」の癖を見出す学でしかない事を思へば思弁的実在論もまた「神」無しにはその論理世界を構築出来ないと言ふ事なのだ。西洋にも生存してゐた古代の神神を現代にも甦らせれば、態態思弁的実在論のやうに捻くれた論理で《物自体》に躙り寄ると言ふ徒労をせずとも西洋人にも万物に「神」が宿るといふ世界へと一足飛びなのだが、そもそも基督教の普及と共に地霊などの異形の神神を惨殺してしまった西洋の人人は《物自体》に至るにはどうあっても思弁的実在論なる偏屈な思想を経ずんば、納得出来ないかと思ふと溜息ばかりが出るばかりなのだ。

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