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潰滅

潰滅

 

在るものが静かに潰滅しゆく様は、

なんと自然な様なのだらうか。

しかし、此の自然といふ言葉が曲者で、

果たして人智で自然そのものを捉へられるとでも

哀れな人類は考へてゐるのだらうか。

そもそも人智を超へてゐるから自然としか表現出来ないのであり、

仮令、此の世界を理解し得ても、

自然は自然として何の存在にも無関係に存在し、

そのゆらぎの中でのみ、生物は存在するに違ひない。

 

潰滅しゆくもの達の怨嗟をも受け容れる此の自然は、

また、誕生の産声も受け容れて、

生滅の両睨みと言ふ神業を難なくやり遂げる此の自然に対して、

現存在は、その慈悲に縋り付くしかないのだ。

 

何のことはない、

自然がほんの一寸でも荒ぶれば、

人間なんぞ一溜まりもなく潰滅し、

さうして現はれた廃墟をも呑み込み、

自然は廃墟を次第に自然に同化しつつ、

最後は自然に帰すると言ふ循環する論理は、

人間の最も嫌ふ論理形式であるが、

しかし、事、自然を相手にするときは、

どうあっても循環論法に陥るしかないのだ。

そして、人間もまた自然ならば、

論理的といふのは先験的に循環論法を指すのであって、

止揚したと見えても、それは一時的な論理の逃避行でしかなく、

ジンテーゼで何かしら語り得ても、

それは一時的なまやかしでしかないのだ。

 

万物流転といふ先見の明に対してあまりに無頓着な人間は、

分別を弁えることなく、

否、仏教で説くところの分別を超へた境地に決して至ることなく、

分別で、つまり、弁証法的な、また、演繹的な、また、帰納法的なその語り口は、

人間とってのみ辻褄が合ふことでしかなく、

自然に対しては全くの無力でしかない。

 

その無力であることの自覚なしに、

何かを語ると言ふ偽善に目を瞑り、

人類が此の世の春を謳歌する時代は既に終はりを迎へつつあり、

これ迄奴隷として使っていた機械が、人工知能という論理形式を手に入れたことで、

いつかは人間を追ひ詰める「主人」になる日も近いのかもしれぬ。

だが、それでいいではないかと私は思ふのだ。

これまでの人間の悪行に対して償ふには、一度人間は無機物の奴隷と化して

贖罪をする外にないのだ。

 

それが今に生き残れた人間の唯一の奴隷に対しての贖罪の仕方なのだ。

さうして静かに人間、否、現存在は潰滅するがいい。

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