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独断的なる五蘊場試論 その三

 独断的なる五蘊場試論 その三

命題:外部の出来事はいづれ内部の五蘊場内の出来事に収斂し、さうして吾は自己の限界を自覚する。

証明:先づ、外部とは何かを証明せねばならない。外部とは、吾が吾の存在の膨脹を断念した処にぱっと視界が開ける《限界》を知る事で、漸く吾が吾の存在の限界を自覚した事を意識する事のそれが外部である。
つまり、フィヒテではないが、《自我》と《非=我》の境、それは、自己の限界を否応なく自覚せざるを得ぬ《自我》の《無》、そして《非=我》の《無》を豁然と自覚し、無において《自我》はその有り様には堪へられず、吾は「ええい、ままよ」と《自我》の無を引き受けて限界を定立する。その容れ物として脳と言ふ構造をした五蘊場が表象する吾の仮象を以てして、吾は吾を知るのである。
つまり、吾を定立する事は、《非=我》を定立する事であり、それは詰まる所、無の陣地争ひに過ぎず、では、吾は無、若しくは無限をどのやうに知り得るのを問ひ糾せば、逆立ちしてでも吾は無、若しくは無限を把捉せねばならないのである。
故に吾が吾を自覚すると言ふ事は、《自我》と《非=我》の限界を無理矢理にでも線引きする事であり、それは吾をしてAcrobatic(アクロバティック)な思索が出来なければ、線引きするIrony(アイロニー)を受容する能力が、決定的に欠落してゐる事であり、それが出来なければ五蘊場を《でっち上げ》をする意味は全くなく、それらは「脳」の一言で処理してしまへばいいだけの事である。

結語:外部の出来事、つまり、世界の出来事は、最終的に五蘊場での表象としての仮象として受容される。その前提として吾は、無、若しくは無限において吾の限界を定立する事で、《自我》と《非=我》の線引きをすると言ふ余りにもAcrobaticな思考をする事で、吾のIronyを自覚する。
故に外部の出来事はいづれ吾の内部の五蘊場内の出来事に収斂し、さうして自己の限界を吾は否応なく自覚するのである。

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