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生生(しゃうじゃう)流転

生生(しゃうじゃう)流転

 

生れては死に、死んでは生まれ変はる生生流転にあると言ふ存在は、

先験的に苦を所与のものとして背負ふべく定められてゐると言ふのか。

哀しみは何度生まれ変はった処で消ゆる事はなく、

永劫にそれは続くと言ふのか。

生生流転にあると言ふ存在は、

それでは、永劫に救はれぬと言ふ事になるが、

しかし、死んでも尚生まれ変はって存在が繋がると言ふ事に

安堵する輩がゐなくもなく、

人間に生れてしまったからには、

死んでもまた人間に生まれ変はると言ふ業にある死生観は、

辛うじて人間を救ふものとして、

此の世の理不尽にあっても尚、希望のものとして、

現世を進んで肯定出来る自己肯定と言ふ何とも醜悪な存在根拠として

生生流転はあると言ふのか。

何度でも生生流転を繰り返すと言ふその生は、

詰まる所、涅槃に至るには未だ生における精進が足りぬと言ふ事でもあり、

生生流転の輪廻から抜け出す術は、

吾等が生にはないと言ふ事か。

此の生生流転、輪廻転生等と言ふ観念に囚はれた者は、

己の生を、つまり、現世を精一杯生き抜く覚悟が問はれる筈だが、

果たして、それらの観念に囚はれた者は、

此の世で功徳を積んで、人間から解脱する覚悟はあると言ふのか。

 

ぼんやりと見渡す日常の風景は何時しか裂け始める中で、

私は来し方行く末に思ひを馳せては、

生生流転と言ふ苦を徹底して背負ふ覚悟だけはしておくと言ふ事が、

己を自己否定する端緒にしかならぬ私にとって、

生生流転の底にある深き深き闇は、

分け入っても分け入っても広がるは闇ばかりの中で、

其処に現はれる不合理に只管堪へる事でしかないのだが、

何処ぞでそれに頓挫して、

地獄に落ちるのが関の山なのかもしれぬ。

しかし、それでいいのだと言ひ切るには、

私はそれを巧く熟してゐないのもまた事実で、

未練たらたらな私の生に対する姿勢は、

ちぇっ、侮蔑すべき、唾棄すべきものに違ひなく、

私は私に対して傲岸不遜にも生生流転を断念することを

敢へて選ぶのを善とするのだ。

そして、私は、地獄に堕つる事を善として現世を生き抜く覚悟だけは持ってゐる矜恃に

唯、縋ってゐるのみの侏儒な存在でしかないことを自覚してゐる卑怯者でしかないのだ。

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