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自然と世界の狭間で

 

自然と世界の狭間で

 

自然と世界との差異とは、敢へて言へば自然には神神が住まふ神話が息づいてゐるが、世界に対しては初め人間は自然に謙虚に畏怖の念を抱きながら、自然の理を紐解く事に全身全霊を注ぎ、論理で自然を再構築する、即ち論理的世界を構築する事で稠密な論理で編まれたものを世界と看做し、疑似自然として世界を造り上げたのである。さうして人間は何時しか世界が自然を凌駕したかに見えた単なるお山の大将でしかない思考による此の世の春を迎えた錯覚の中にゐて、尤もそれは認識論的誤謬が人間の論理的世界には必ず含まれてゐる事を示すのであるが、此の世の春は短くて論理が鉄壁と思はれた世界は余りにも脆く、人間の想定を超えた自然の振舞ひ、つまり、神神の振舞ひに対して再び恐れ戦く時代がやってきたのである。それは正しく再び人間は太古の昔の神話の中に紛れ込んだと思ふに違ひないのである。しかし、後付けながら人間は飽くまで自然の事象を論理的説明をする事で荒ぶる自然を世界に留めおかうと必死なのであるが、自然が想定を超えて荒ぶるそれを正しく予知して論理的な結論を導き出すといふ事は年を追ふ毎に難しくなって行き、もっと言へば自然は簡単に人間の想定なんぞ飛び越えてしまふのである。つまり、世界は自然に対して敗北したのである。人間の論理的世界観には奢りがあったのだ。最早、自然を論理の網で捉へる事は至難の業なのだ。

ならば、人間を超えた人工知能に頼るのか? 過去の自然の事象を全て機械学習した上で、例へば人工知能が明日の自然の事象を予測するとして、果たせる哉、それは予測は何ぼでも出来ても寸分違はずに予測できるかといふとそれは不可能に違ひなく、人工知能が機械学習する範囲は億年単位でなければ、精度が高い明日の自然の全事象を予測など出来る筈はないのである。

夜空を見上げれば、そこには光害がなければ非常に美しい天の川の星星や銀河や惑星、そして深い深い深い闇などが見える筈で、しかもそれらは当たり前なのであるが全てが過去の事象なのである。とはいへ、そこにはこの天の川銀河の未来に起こりうる事象もある筈で、宇宙を見渡せば、全てが過去の事象なのであるが、しかし、その中には天の川銀河、または地球の未来を映した事象が見られる筈で、宇宙の生生流転するその様は、最早過去の事象なの未来の事象なのかの区別はつかぬのである。去来(こらい)現(げん)が混交した渾沌の中でも、しかし、理がある自然に対して再び謙虚になって、例へば論理=神により荒ぶる自然を鎮守する、つまり、神話の中の神神を鎮めるには、世界を再再構築する事が必要で、それを造るには何故にその結論が導き出されたのか論理的に語り果せなければならぬ人工知能の結論の導出のBlackbox化を論理で解きほぐしてゆかねばならず、その智慧が果たして人間にあるのかが試されてゐるのである。論理信仰は論理=神を崇める事で成り立つのであるが、どうしたって人間は何事も論理化せずにはをれぬ生き物で、正しくそれは論理信仰の生き物で、それが果たして日進月歩で進化する人工知能のその結論を導出するBlackboxを人間は論理で説明出来るのであらうか。しかし、世界が破綻した以上、人間は何としても世界の再再構築を行はなければならず、荒ぶる自然の神神を鎮守する論理を手にしなければ、これから死屍累累の山を見続けなければならぬのだ。人工知能がどうしてそのやうな結論を導き出したのか論理的に説明できないうちは、人間は荒ぶる自然の神神に翻弄され続けられるのだ。宗教に救ひを求めるのがこの世界が破綻したときに起こる現象で、それが行き着くところは論理=神を崇める論理信仰、即ち「初めにLogosありき」を敷衍化して人工知能に対してどれほどに人間は肉薄出来るかに安息な日日の保証は懸かってゐるのである。

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