site
stats ??????
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へバナー画像にほんブログ村 哲学・思想ブログへブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ

野分け

野分け

 

現在は衛星写真で逐一その渦動する積乱雲群の様が解り、

直撃しても被害は少なくなったとは言へ、

野分け、つまり、颱風は今も畏怖の対象であることに変はりはない。

しかしながら、あの渦巻きは何と美しいのだらう。

渦巻く積乱雲群の下では暴風雨が吹き荒れてゐるのは重重承知してゐるが、

野分けの渦巻きの美しさは宇宙空間の渦巻き銀河を観る如くに美しいのだ。

そして、野分けは、おれをわくわくさせて已まないものの一つで、

それは約めて言へば、死と隣り合わせの状態が、

恐怖よりもわくわくした興奮状態を齎すからに外ならないのである。

どうしても死を身近に感ずる時、

生き物は、どんな種でも恐怖よりも高揚した興奮状態にあるに違ひなく、

つまり、生きてし生きるもの全て死を熱狂の内に迎へるに違ひないとも思へ、

恐怖に戦き震へるのは、まだ、死が遠くにあることの証左であり、

死が近しいとそれはもう狂乱に近い状態に変はるのだ。

熱に浮かされ極度の興奮状態に連れて行かれ、

吾なるものはそこで潰滅させられる。

さうして自ら己と言ふものを滅すことで、

死に溶解し、個は多へと変化(へんげ)するのだ。

しかしながら、恐怖や畏怖が伝染するやうに

熱狂もまた伝染し、

その時の狂乱にこそ、つまり、渾沌にこそ、

真なるものの一つの形は存在し、

身震ひするほどにそれはとんでもない高揚感を齎しつつも、

渾沌状態とは言へ、

其処にも死が存在すると言ふどうしようもない秩序といふ恥ずべきものは存在し、

つまり、吾は渾沌の中においても尚、前言と大いなる矛盾が生じるのであるが、

吾であることを已めないのだ。

さうして見える未来といふものは、

死と言ふ、それこそ渾沌が大蛇の如くとぐろを巻いてちょろりと舌を出して、

吾を呑み込む愉悦へと導くのである。

しかし、それでも吾は吾であり続ける。

それと言ふのも、地獄へと堕ちた吾は、

吾を已めるわけには行かず、

否、吾であることが已められぬのだ。

吾が吾であるからこそ地獄の責め苦を味はへるのであり、

それは即ち、吾は死しても意識すらも失ってはならぬのだ。

(Visited 1 times, 1 visits today)
...

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

Twitter Auto Publish Powered By : XYZScripts.com
PVアクセスランキング にほんブログ村