至福

至福

 

何に高揚してゐたといふのか。

人生のどん底にありながら、

思考は固着し、

感情の起伏は消え、

何に対しても感情は平坦なままのそんな状況下で、

おれは絶えず高揚してゐたのだ。

 

どん底といふものは一度味はってしまふと、

もう落ちやうがなく、

とはいへ、それは底無しの絶望と背中合はせだったのだが、

おれはしかし、高揚してゐたのは確かなのだ。

 

ぼんやりと一日が過ぎてゆくだけの日常において、

おれに残ったのは、埴谷雄高と武田泰淳とドストエフスキイの作品の残滓であったのだが、

しかし、おれはそれで既に至福だったのだ。

既に論理的なる思考など出来なくなって錯乱状態にあったおれは、

あれほど大好きだった哲学書は最早読めず、

文章も一文すら書けなくなったその時にこそ、

至福であったのは間違ひないのである。

 

何が絶望のどん底にあったおれをして高揚させ、至福の中に置いたのか。

生きる屍と化したおれではあったが、

それでも生のみは離さずに、

何とか生き延びられたおれは、

そんな状況下において馬鹿らしい希望でも見出してゐたといふのか。

 

いや、あの頃のおれに希望は全くなかったのだ。

それ故におれは至福であったと言へるのだ。

絶望のみの中にあると、人間は呆けてしまひ、

恍惚としてゐるものなのだ。

だからと言ってあの頃に戻りたくもないが、

しかし、あの頃の至福に比べると現在は、至福とはほど遠く、

白濁した絶望がこの小さな胸奥に棲み着いてゐる。

 

そして、その白濁した絶望はといへば

性器をピストン運動させて夢精する如くに吐き出せれぱ、

きっと虚しいおれが登場するのみなのだ。

 

しかし、それで良いではないか。

それが至福といふものなのだ。

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