ぼんやりと頭痛を抱へて

 

ぼんやりと頭痛を抱へて

その痺れるやうな痛みに酔ひ痴れて、

極極私的な春の宴を催すのです。

そんな春の宴には頭痛が最も相応しいと思ふのですが、

それと言ふのも春そのものが頭痛の種でしかなく、

気が滅入る季節こそが春なのです。

薄ぼんやりと頭痛を抱へながら催す宴は、

更に気が滅入らせると思はれるかもしれませんが、

決してそんなことはなく、

春にこそ頭痛は宴の首座として相応しいのです。

それでなくとも薄ぼんやりと思考が拡散しがちな春において

頭痛があることで意識は頭痛の周りを周回しては、

奇妙な集中力を発揮するのです。

私にとって春の日、頭痛でうんうん唸るのは

とても楽しい日なのであります。

春霞にぼんやりとする風景と同じく

薄ぼんやりとする春の私は、

其処に頭痛があるだけで霧が晴れたかのやうに

意識は頭痛の痛力を動力源として

ゆったりとではありますが、渦動を始めるのです。

そんな時はセロニアス・モンクが聴きたくなり、

私の極極私的な春の宴に花を添へるのです。