去来現(こらいげん)

 

過去、未来、現在を意味する去来現といふ言葉が好きだ。

これは仏教用語ではあるが、

単刀直入に去来現と言ひ切るその潔さに感服したのかも知れぬ。

おれの時間に対する考へ方は至極単純で、

現存在のみ現在に取り残され置いてきぼりを喰らひ、

外界は、過去と未来が自在に反転する奇妙な時間が流れ、

内界もまた、過去と未来が自在に綯ひ交ぜになる時間が流れ、

寿命は自然界で極普通に発生するカルマン渦が、

世界に、宇宙に悠久に流れる大河のやうな時間の底流の上に発生しては

それが台風が必ず消滅するやうに大河のやうな時間の底流の上に発生した

小さな小さなカルマン渦が消えるときが寿命であり、

それは各各長さが違ふのである。

その時去来現といふと

カルマン渦の発生条件の違ひで

現存在の寿命はほぼ決まってゐて

後は独楽をはたいて回転を加速させるやうに

日常生活での過ごし方で少しは寿命は延ばせるだらうが、

現存在が此の世に生まれ落ちた時、

否、精子と卵子が受精したその瞬間に

寿命が決まってゐるとおれは考へてゐる。

つまり、医学の進歩で寿命は延びるだらうが、

伸びたとしたところで高高長くても数十年のことであり、

百年単位で現存在の寿命が延びる筈もなく、

生者は長くても百年の寿命を甘受する外ない。

そもそも平均寿命といふものが諸悪の根源で、

平均寿命の数値は何処かの異星の話であり、

さう捉えるのが賢明だ。

何故ならば、誰しも平均寿命を生きられる筈もなく、

それはインチキの数値として腹を括る外ない。

 

去来現に上手い具合に思ひ至ったならばしめたもので、

後は日常を精一杯生きる事を心がけて

死ぬまで現在に留め置かれる現存在は

精精現在を堪能し尽くす事を何よりも重視すべきなのである。