流麗なる悲哀

 

流れるやうに何の澱みもなく

華麗にピアノを弾くビル・エヴァンスの演奏は

流麗なるが故にその悲哀は底知れぬのだ。

深き闇をぢっと凝視してしまったのか、

その華麗にして優美なその演奏は

立ち止まる事を恐れるやうに

何時までも音と音との間に発生する空隙を埋めるやうにして

ビル・エヴァンスは流麗にピアノを弾く。

果たせる哉、ビル・エヴァンスが見たであらう闇の深淵は

いづれも死臭が漂ふものばかりで、

実際、ビル・エヴァンスの周りには死が取り憑き、

また、ビル・エヴァンス自身も麻薬に溺れて

生き急ぎ、五十一歳で死んでゐる。

小林秀雄がモーツァルトについて述べたやうに

ビル・エヴァンスの流麗この上ないピアノ演奏の哀しい疾走は、

既に死を見てしまったもののみ可能なもので、

最早、それを止める事は誰にも、また、何ものも不可能であり、

ビル・エヴァンス自身、早くの死を望んでゐたに違ひない。

嗚呼、哀しき疾走たるや、

華麗故に尚更、その哀しみが際立つのだ。

流麗である事は時にその荒んだ心中を隠すのに夢中でありながら、

それは時折、炙り出されては、

聴くものに深き深き闇を見させ、

ドキリとさせるのである。

何故にビル・エヴァンスは闇に取り憑かれてしまったのだらうか。

盟友、スコット・ラファロの死、

内縁の妻、エイレンの地下鉄への投身自殺、

兄ハリーの拳銃自殺、

そして、ビル・エヴァンス自身の死。

かうして見るとビル・エヴァンスのピアノ演奏に死臭が漂ふのも仕方ないのか、

然し乍ら、それらはビル・エヴァンスの作品に克明に刻印されてある。

疾走する悲哀、

この言葉はモーツァルトよりもビル・エヴァンスによく似合ふ。

ビル・エヴァンスは疾走せずば、即、死が待ってゐるのを、

多分、解ってゐたからこそ、

余りに闇が深い流麗な演奏が可能だったのだらう。

その一見すると相反する演奏は、ビル・エヴァンスのみの奇跡の演奏であったのだ。

「自己との対話」の闇の深さは途轍もなく、

聴くものはその闇にどっぷりと浸るしかないのだ。

嗚呼、哀しき疾走は、

今も流麗にスピーカーから流れ出るのだ。