理不尽

 

此の世の開闢にあたって

其処には此の世の誕生するはっきりとした意思があった筈で、

私は初めに念ありきと夢想してゐるのです。

それは此の世の森羅万象に当て嵌まり、

あらゆるものに念は宿ってゐるのです。

さうでなければ此の世は理不尽といふもので、

人類の奴隷として今まで無理矢理製造されて、

また、製品といふものとされたものは救はれることがないのです。

人類の救済の前にものが救済されなければ、

それは理不尽といふものです。

ものが救済されるためにもこれまでの人類の所業は反省されなければならないのです。

道具と呼べば何となく聞こえがいいのですが、

その実、ものを人類の都合に合わせて作り替へたことがものの不幸の始まりなのです。

しかし、道具の発明なくしてホモ・サピエンスは生き残れなかったと言われるのです。

ならば、ホモ・サピエンスの誕生はものを奴隷にした出来事の始まりであり、

それ以来、人類はものをずっと人類の奴隷として扱って来ましたが、

それはものに対して傍若無人を働いてきたのです。

ハイデガーが道具存在と言ふ存在の在り方を示しましたが、

そもそも道具が特別な存在と言ふ世界認識は、

ものに対する冒瀆でしかないのです。

まず、此の世で、最初に救はれなければならないのは、

己の意思に反して、将又、己の念に反して道具にさせられたものであって

人類では決してないのです。

ものが救はれない以上、

人類が救はれることはないでせう。

それだけ、ホモ・サピエンスの業は罪深く、

人類史を振り返れば、

ものを道具として扱はなければならなかったそのどうしようもない人類の傲慢さは、

その罪深さに目眩む筈で、

それらの業はこれから何世代にも亙って償はなければならないものなのです。