退隠

 

現はれては直ぐにその姿を消し、

闇に退隠する表象群に対して

さて、困ったことにおれは、

一体おれ自身と表象群のどちらが、

闇に退隠してゐるのか最早解らぬのだ。

趨暗性なおれは絶えず闇の中に身を隠し、

さうしなければ一時も心安らぐ時などないおれは、

外部を眺望する時は

ひょこっと闇から魂魄の首のみを出して

外界を一瞥しては

一瞬にして闇の中に魂魄の首を引っ込めるのであるから、

再現前する表象群が果たして闇中から現はれるのか、

それともおれが闇中からひょこっと魂魄の首を出した時に

おれが表象群に対して再現前してゐるのか最早区別がつかぬのだ。

ならばおれが闇中にゐる時に眼前に再現前するのを待てば済む話ではないかと

思はれるところであるが、

年がら年中びくついてゐるおれは、

ひょいっと魂魄の首を闇中から出したと思ったら引っ込めるのである。

しかし、闇中に心安らぐのもほんの一時のことで、

再びひょいっと魂魄の首を闇中から出しては

外界を眺望するのだ。

では、おれが身を隠してゐる闇は何の闇かといへば、

それは瞼が作る薄っぺらな影といふ闇でしかなく、

其処におれは全身全霊を以てして隠れるのであるが、

頭隠して尻隠さずではないが、

瞼の影におれが全て隠れるのは窮屈で、

無惨なことにおれの肉体はさうであっても野晒しのままなのである。

また、おれは瞼をぢっと閉ぢてゐられる程に達観してをらず、

おれは瞼を直ぐに開けてしまっては、

外界が何時ものやうにあることを確認しては、

瞼を閉ぢるのであるが、

せっかちな性分のおれは、瞼裡に表象群が再現前する暇もなく

パッと瞼を見開いてしまふのである。

それはそもそも私に巣くふ不安の為せる業なのであるが、

取り分け不安症のおれは、瞼をぢっと閉ぢることが苦手で、

趨暗性と言ひながらも闇が怖いと見えて、

おれはそこでも矛盾してゐるのである。

そして、矛盾してゐることからおれがおれであるとなんとか言ひ切れてゐるのが

何ともさもしいおれといふ存在なのである。

さうして瞼裡に退隠したおれは、

ぢっと蹲ったまま、身動ぎもせずに「もの」について思索を続けるのである。