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操り人形の糸が切れたかのやうに
私の四肢はだらりと脱臼したやうなのです。
それは世界に対しての私の対し方に問題があったとしかいいやうがないもので、
此の世界を認識しようなどといふ暴挙を何故私が思ひ付いたのか
後悔先に立たずなのです。
そもそも世界認識などと言ふ譫妄に陥ったその動機が不純だったのかも知れません。


世界の謎に挑んだ挙げ句、
私の四肢はそれに堪へきれずに脱臼してしまったのです。
世界認識などと言ふ大それたことがそもそも私の手に負へぬことで、
そのずしりとした重みに私の四肢は堪へきれなかったのです。


ぶら~ん、と揺れるだけの腕と、がくり、と崩れ落ちた脚のその状態を見て、
やうやっと私は事の重大さに気が付いたのです。
土台私に世界を担ふことなど不可能で、
その巨大で重厚、且つ、多層な世界を独りで担ふ実存の襤褸切れのやうな結末は
無理があったのです。
だからといって脱構築は、実存からの遁走でしかなく、
一度神を殺したものの眷属たる人類は、
神なき世界を仮令四肢が脱臼しようが世界を担ふ覚悟がなければならなかったのです。
それをどこでどう勘違ひしたのか、
人類は世界を改変し始め、
人類は一見合理的に見える、
とっても理不尽な見識で世界を改変してしまったのです。
人間は結局世界の認識に失敗してゐるが故に
人類の合理は理不尽でしかなく、
それはどこまで突き詰めても自然には敵わなかったのです。


嗚呼、可哀相な人類。
真綿で自分の首を絞めてゐただけのその世界改変と言ふ不合理な行為は
弥縫に弥縫を重ねて人類が積み上げてきた智慧の綻びを縫ひ合わせてゐたのですが、
何とも中途半端な世界認識が足を引っ張り、
弥縫の仕方を間違へると言ふ致命的な失敗を為してしまったのです。
弥縫すればする程に歪な世界が現出する悪循環は、
もう止めやうがないのです。
後は、自然の治癒力に縋るしかない人類は、
今や誰もがお手上げ状態なのです。
それでも科学が人類の世界認識に存在するAntinomy(アンチノミー)を止揚するなどといふ余りにも楽観的な希望的観測を抱く現存在は何時の世にも存在し、
智の結晶には違ひない科学に縋る現存在の哀れなる姿は、
やはり四肢が脱臼したままで、
此の世界をもう担ふことが不可能なのです。


哀しい哉、人類は最早自然に対して手も足も出ない羸弱な存在でしかないことを自覚するべきときなのです。
科学がAntinomyを止揚するなどと言ふ馬鹿げた夢はもう捨て去るべきときなのです。

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