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一度芽生えてしまった不信は
行き着くところまで行かないと
その不信の底に流れてゐるどす黒いものは見えぬ。
そのどす黒いものは己の目を蔽ふばかりの嫌な面で、
それを見ずして不信は消えぬ。
特定の他者に対して抱いてしまった不信は、
その因を探れば、その初対面の時に己といふ存在は感覚的に捉へてゐて
初めは小さな小さな萌芽だったものが、
会う度毎に不信の感情は増幅され、
ここまで己は意地が悪いのかと自己嫌悪に陥るほどに不信は募るものだ。
不信は相手あってのものだが、
ここで、仮に他者といふものが己の鏡と看做してしまふと
他者に対する底無しの不信感は裏を返せば己に対する底無しの不信感でもある。
ここで、虚勢を張って自己正当化すればするほど
不信は増幅に増幅を重ね、
土壺に嵌まり、
嫌な気分が己を蔽ふ。
その嫌な気分を晴らすために他者に対して罵詈雑言を浴びせて
自己満足したところで、嫌な気分は微塵も晴れやかになることはなく、
むしろ、尚更の自己嫌悪に陥る。
然し乍ら、よくよくその自己嫌悪に陥った己を観察してみれば、
自噴を他者にぶつけてゐるに過ぎず、
さうする事で尚更己は己に対して腹を立て
ここに至って漸く己が己憎しとの化けの皮が剝げ、
不信は、大抵が己に対する不信の場合が多いのだ。
その己のどす黒い部分を目の当たりにした時、
なんて膂力がないのかと
己の不甲斐なさに呆れるのであるが、
一度、己のどす黒い部分を見てしまふと
不思議なもので人は落ち着くものである。
ここで深呼吸をしてどす黒いものを手で握り潰し、
呑み込んでしまうのだ。
さうして相手を見ると、
相手のなんと幼稚じみて、不義者なのかと思ひ至り、
これまで、相手と同じ土俵に立ってゐた事を恥じ入り
事、此処に至ると、自己は煮ても焼いても食へぬ腹の据わった大人うしとなる


ところが、相手が道理の立たぬ大馬鹿者だった場合、
己は憤懣遣る方なしで、
相手を徹底的にたたきのめすに限る。
さうしなければ、相手のためにならぬのだ。
さういふ輩は道理を説いても馬耳東風で何一つ理解できぬし、
己が正しいと端から思ひ込んでゐるので
此方は腸煮えくり返りながらも涼しい顔をして
相手の首を真綿で絞めるのだ。
さうして相手がぐうの音も言へぬまで真綿で首を絞め続け
最後にとどめを刺して相手を平伏させる。
大馬鹿者は其処までしないと解らぬものである。

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