何が凄惨かと言へば、免疫が異常を来して己を攻撃し、己の体軀が畸形してゆくやうに異形の吾どもに共振した私がこの倉井大輔といふ心、或ひは魂、或ひは魂魄を総攻撃して、自己浸食し、例へば私の魂は歪められ、ムンクの「叫び」の人間のやうに奇妙にひん曲がってしまった私の魂は、見るも無惨に倉井大輔といふ人間を支へるのにも息絶え絶えで、奇声を上げるしかないのであった。時折、奇声を上げる倉井大輔に対して、家族もう慣れっこであり、近所の人も倉井大輔に対しては目を合はすのを避け、挨拶も早早に倉井大輔からは一歩引いた関係のまま、関係を深める人はゐなかったが、そんな他者にかまけてゐる余裕などなかった倉井大輔にとってキルケゴールほどではないが世間から疎んじられ単独者といふ状況は願ったり叶ったりで倉井大輔にとっては悪くはなかったのである。
 それにしても異形の吾どもと一緒になっての私の吾への総攻撃は倉井大輔の精神を蝕んでゐたのは間違ひなく、倉井大輔のいつも疲れ切った虚ろな目は彫りの深い倉井大輔の眼窩の奥で異様な光を発しながら、その目で内部を覗く人特有の何処を見でもなく視点が定まらず、かといって何かを凝視してゐるのが闡明するこれまた奇妙な目つきをしていた。その奥二重の目玉がぎろりと動くと、幼子は必ず泣き出し、そこには魔物が宿ってゐると言ってもいい一目倉井大輔の眼光鋭き虚ろな目を見てしまった人ならば、もう決して忘れられない嫌な記憶として脳裡に焼き付いてしまふのであった。
 川の右岸をぶつぶつと独り言を呟きながら往復していた倉井大輔は、不意に何処かから梵鐘が聞こえたやうな気がしたのであった。
――ぐおおん。
 梵鐘の複雑にして清浄な響きは倉井大輔に唐突にかう呟かせたのである。
――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も、遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
 何故か倉井大輔は『平家物語』がお気に入りの本で、そこで死んで行く平家の人間たちに何か自己を重ねては驕れる吾も久からずと、やがては倉井大輔を総攻撃する異形の吾どもと私も必衰の途を辿るのを恋ひ焦がれるのであった。


二の篇終はり